歌について

最近スマホアプリのSpotifyを愛用している。無料Ver.なので広告が入るが、それをもってしてもあまりあるサービスである。すごいなぁと思うのは、こちらがかけてくれ、といった曲の好みから類推して僕の好みそうな曲を選んで流してくれるところだ。昭和の人間…

国とは何だろう2

こんなに「国」のことを書くつもりはなかったのに。ブログを始めてから国のことばかり書いている気がする。今61歳なのでまあ長ければあと20〜30年この国にお世話になることになるのかもしれない。しかしながらこの国のことを憂えているのは、格好をつけてい…

国とはなんだろう

この日本という国が今は嫌いだ。既に書いたが、もともとこの国がそんなに好きなわけではなかったので先の表現はあまり正確ではないかもしれない。ただ、たまたまとは言え、この国に生を受けて今までこの国に住ませてもらった、という恩義はある。さらに言え…

最近読んだ本

『わたしたちが孤児だったころ』ーノーベル賞作家カズオ・イシグロ氏の小説である。今読了した。原題は『WHEN WE WERE ORPHANS』。幼い頃を上海の租界で過ごしたイギリス人男性の身に降りかかったある事件。過去の記憶をたどりながら物語が紡がれる。舞台は…

東京五輪は中止せよ

今、自分の中ではこのテーマが最重要と思われる。現在はまだ中止の決定は出ていない。本日付けの毎日新聞に山下泰裕JOC会長の五輪強行への理解を求める談話が掲載された。隣の記事は尾崎治夫東京都医師会会長の談話だ。一方で朝日新聞が五輪のスポンサーであ…

ヘブンリーブルー

最近庭に朝顔を植えるのに凝っている。と言っても花好きの妻のの鉢が並ぶ中に置かせてもらうのでそんなには植えられない。品種はヘブンリーブルーという。やや薄めの涼しげなブルーの西洋朝顔だ。以前にも植えたことがあり、だいたいこの5月に植えて、夏か…

日本脱出計画3

Twitterを見ていると、この日本という国も捨てたものじゃないな、という感覚にとらわれる。僕個人から見て、だけれど、本当に真っ当な人が数多くいらっしゃる。いや、数多くとは書いたが全国で見ると少数派なのかもしれない。僕の周りを見ても少数に見える。…

日本脱出計画2

そんなに日本が嫌なら出ていけば? そうだよね、出て行くわ。売り言葉に買い言葉。でも相手が出ていけないことを知っていながら叩きつける売り言葉。例えば教師が生徒に叩きつける売り言葉にもその種の言葉がある。自分も使ったことがある。それは反則だ、と…

日本脱出計画1

そんなに日本が嫌なら出ていけば? 今、日本がひどいことになっている。こんな国になるとは思っていなかった。あー。別に先進国こそがいいとは思わないけれど、どこかでこの日本を、あの戦後の混乱期、大変な時期を乗り越えて経済大国にして豊かな(少なくと…

日本という国 〜その4〜

この日本という国がどうも怪しい、と思い始めたのはいつ頃からだろう、とよく考える。そのかけらを拾い集めた時の僕の記憶における最も古いものは、おそらく、オフ・コースの『生まれ来る子供たちのために』という曲を学生時代に友人から教えてもらい、この…

日本という国 〜その3〜

この日本という国は「日本国憲法」というすばらしい憲法を有している。誤解のないようにいうと、それは1946年11月3日公布、翌47年5月3日施行の憲法のことである。今、憲法改正(改悪?)の動きがあるので、万一変えられた場合もタイトルが「日本国…

日本という国 〜その2〜

いつの間にかこんな国になってしまっていた。それが今の正直な印象である。 いや、実はうすうすこうなることはわかっていた。多分良識のある学者の皆さんがさまざまに分析されているので今更僕如きが、という気もするが一応自分の中での分析をしておきたいと…

日本という国 〜その1〜

日本というこの国に生まれて約60年、特別に「よい国や〜」とも思わなかったが、そんなにひどい国だとも思わなかった。そう、正確にはここ7〜8年を除いては。そして特にここ1、2年のコロナ禍になる前には。 この国を一番気に入っていた点は、日本国憲法…

感受性の半径

以前Twitterで次のような書き込みを見た。以来そのことが気になっていて、もう一度その書き込みを読みたいと思って検索したのだが、結局見つからなかった。一つの科学的理論かもしれないと思い、検索の範囲を広げたのだが結局わからずじまいだった。今でもそ…

幼き日の思い出

どうしても残しておきたい記憶がある。それがたとえあいまいな記憶であっても。 それがいつ頃のことだったのかよく覚えていない。だがいくつかの断片からなんとなく推測することはできる。確か自転車の補助輪がとれるかどうか、といった時期だったように思う…

ブログを始める理由 〜ペンのちから!?〜

初めまして、という書き出しでよいのだろうか。読者がいるのかどうかもわからない状態で誰に向けて書くのだろう、と思いながら、しかし個人の日記で誰にも読まれないのは嫌だ、というか寂しい。あえてブログを表現の場に選んだのは誰かに読んでもらいたい、…