日本という国 〜その3〜

 この日本という国は「日本国憲法」というすばらしい憲法を有している。誤解のないようにいうと、それは1946年11月3日公布、翌47年5月3日施行の憲法のことである。今、憲法改正(改悪?)の動きがあるので、万一変えられた場合もタイトルが「日本国憲法」となるかもしれないので補足したまでである。この憲法はその前文をはじめ、すばらしく民主的な内容の文章からなっている。名文である。この憲法が改悪されることにでもなれば、僕はもうこの国には住みたくない。日本国籍も要らない。そのような状況に備えて幾つかの外国語の習得を試みている。

 

 ただ、おいそれとは外国移住などできるわけもない。家族もいる。説得はかなり難しい。最後は自分一人ででも、と宣言したいところだがそうもいかない。”家族を見捨てたやつ”という汚名を背負って今後の人生を生きていくのはなかなか辛いものがある。

 ではそれらのことから導かれる方向とは?それはこの状況を変えることしかないのだ。この先どれだけの人生を送ることができるか、そんなに多くの時間を持たない僕がこの国を少しでもなんとかしたい、と思う理由ーそれはひとえに自分の子どもたち、そして次世代の人々のためである。僕の教員時代の教え子たち。劣悪な環境の中で一生懸命に生きている子たちも世の中には多い。生まれてきてよかった、少しでもそんな思いの中で人生を送ってほしい。「ひどい国になってしまったね。僕はもうおしまいだからいいけどね」そんな言葉で終われない。

 

 本当にひどい国になっている。政治に無関心な人々は、なんとなく生活できているからまあいいか、と選挙にもいかない。声もあげない。現職に入れとけばいいか・・・。

 

 この凄まじいコロナ禍でもオリンピックを強行しようとしている。他国に比べて「さざなみ」といったやつがいる。オリンピックで絆を強めるなどと寝ぼけたことを言う大臣がいる。入管で亡くなった方の「名誉と尊厳を守るためビデオ映像を見せられない」と奇妙な答弁をする大臣もいる。それは逆だ。尊厳を守るための映像なのに。まともに答弁もできない総理は論外。「次期総理も彼で」と言う自民党の連中も論外。まともな感性の持ち主は与党内にはどうもいないようだ。オリンピック反対の横断幕を掲げ、声をあげると「威力業務妨害で逮捕」だと?特高か?いつの警察? 恐い・・・

 こんな国にしてしまった要因。メディアもその一つ。政府に睨まれると取材させてもらえないと怯むのか追及の甘いこと甘いこと。このようなメディアだから戦争への反対もできなかったんだ。妙に納得してしまった。また同じことが起こるかも。骨のあるのは「赤旗」「週刊金曜日」「文春」ぐらいか。

 そして何より国民。完全に国民を「舐めている」与党をのさばらせたのは国民だ。「舐めている」というのは言い換えると「軽んじている」ということ。心ある人はそのような政党には入れていないだろう。無関心もしくは利権迎合、無思慮で現状維持でいいやと言う層が入れた結果。

 今の政府の無為無策ぶりは尋常ではない。ひょっとすると、彼らはわざとそのようにしているのではないか。人流ではなく人口そのものを減らそうとしていないか。年金問題医療保険の破綻目前と言われる現状を鑑みるとあながち妄想とも言えず、まさしくホラーである。感染者、重症者の増加は織り込み済みで、「仕方ない」と思ってはいないか。それぞれに大切な人生があり、かけがえのない家族や友人たちの命であると言う認識が著しく欠如しているとしか思えない。僕も基礎疾患保持者。恐い日々を送っている。