日本という国 〜その4〜

 この日本という国がどうも怪しい、と思い始めたのはいつ頃からだろう、とよく考える。そのかけらを拾い集めた時の僕の記憶における最も古いものは、おそらく、オフ・コースの『生まれ来る子供たちのために』という曲を学生時代に友人から教えてもらい、この曲が何を歌っているのかについて話したことでなないかと思うのだ。

 この曲の作者小田和正がこの曲に込めた思いは彼なりのものがあるようだが僕と友人はもっとこの国の、あるべき姿からかけ離れた状況まで敷衍して捉えていた。そして、高校の教員になった僕は、新人1年目、希望者による学習合宿の講義を1時間持つことになり、当時の学年主任から「内容はなんでもいいから」と言われて、この曲をかけ、自分なりの解釈を生徒の前で話した。この国のありようがおかしい、君たちはそのおかしさに気づき、何が本当に正しいのかを見抜く力をつけてほしい。そんな話をしたような気がする。高校1年生対象だったのでそんなおおらかなプログラムが許されたのかなと思う。

 大学を卒業した頃、さだまさしの『風に立つライオン』がリリースされる。この曲にも触発されるところが多かった。そしてこの曲は、何か暗示的だが、僕の最後の在任校の担当学年の総合学習で登場することとなる。どれだけのことが生徒たちに伝わったのかはなはだ心もとないが歌のもつメッセージ性はやはりすごいものがある。そんなすごい歌をいかに伝えるか。政治利用などという言い方で歌というものをあまり散文的世界に近づけたくはないが、その力を借りたいというのが本音である。

 さて、この国が怪しいと思い始めてから十数年経った頃、日章旗君が代がそれぞれ国旗、国歌が法的に根拠を持つことになる法律が制定される。「国旗及び国歌に関する法律」がそれである。1999年8月のことである。すでに中堅の教員になりかけていた僕は政治経済等の授業で内心の自由などを教えていたこともあり個人的に「やばいなあ」と感じていた。そんなに強硬な「国旗」「国歌」反対論者でもなかったので式典では他の多くの教員同様、”斉唱”の際に起立はしていた。しかしこの法律には危うさを禁じえなかった。内心の自由に踏み込まれる予感がしていたのだ。調べていくうちに僕の捉えていたものと少し異なる部分が見えた。当時文部省から公立校に対し卒業式等の式典において君が代の強制があり、反対する教員との間の板挟みにあった広島の県立高校の校長が自殺するという事件があった。それは日章旗君が代を国旗、国歌とする法的根拠がないことに起因する部分がある、と言われた。保守の中にありながらリベラルと言われた当時の野中広務内閣官房長官が進めていたことに違和感を抱いていたのだが、彼の本心は「これで法的根拠が作られたわけで、板挟みになって苦しむ学校現場の管理職はなくなる」というところにあると言われ腑に落ちた。僕のいた高校でも毎回国旗の掲揚、国歌斉唱はあたりまえのようにプログラムされていた。高校にもよるだろうが、僕のいたいくつかの勤務校では起立しない教員、歌わない教員がいても断罪されることはなかった。まだ幸せなほうかもしれない。他府県、他校では厳しく取り締まるところも少なくなかったと聞いている。処分された教員もいると聞く。明らかな内心の自由の侵害である。国旗や国歌を掲げたり、歌いたくなるような国を創ることが先だと思うのだが、そうなっていない、ということだと思う。

 そして今である。怪しい、ではなく、胡散臭い、というほうが的確な状況が生まれた。それが安倍内閣が国家像として掲げた「美しい国」宣言である。この内閣のやることはことごとく僕の神経に合わない。それが最も顕著に表れたのが教育基本法の改悪(!)である。

 

教育基本法

前文

 われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。

 われらは、個人の尊厳を重んじ、 真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。

 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。

 

教育基本法

前文

 我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。

 我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、 豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する

 ここに、我々は、日本国憲法の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、そ の振興を図るため、この法律を制定する。

 

 どうだろう、旧教育基本法の格調の高さは。そしてどうだろう、新教育基本法の「日本、我が国、公共、伝統」という「我が国」アピールは!「日本国憲法の精神」により「のっとっ」ているのはどちらか。人類普遍の希求すべき平和や福祉や真理や正義といったものを高らかに謳っている旧法に対し、「我が国」アピールによって人類普遍の希求や願いといったものが矮小化されている。この法律を読んで愕然とし、以来僕は常々教員としての誇りを傷つけられている思いを拭えなかった。2条以降、「我が国」アピールは公共、道徳といった言葉でそのアピールを増幅させている。

 

 国を、良い意味でも悪い意味でも改変する際に、国の首脳陣が手をつけたがるのは、そしてどうしても手をつけなければならないのが教育である。戦後の教育について評価するのはたやすいことではない。ある程度の民主主義教育は成功していたのだろう。しかし、いわゆる保守層が「戦後の教育は間違っていた」と主張するのとは別の意味で不充分だった部分があったと言わざるを得ない。それはつまり、民主主義というものを積極的に維持しようとしなければ失われる、ということ、また、一度失われれば簡単には取り戻せない、ということをもっと教えるべきであった。民主主義を民衆自らの力で勝ちとったのではないこの日本であるならばなおさらである。

 今のこの事態、政府が思い通りにならないと判断すれば官僚や関連団体の人事に口を出し、それがひいては官憲も例外ではなくなり、自治体への圧力となる。情報操作を行い、メディアをコントロールしようと画策する。政策への反対運動、デモの取り締まりや批判記事の抹殺も然り。いつかきた道を舞い戻る。あの戦前の、思想信条、表現の自由の取り締まりが目前に迫っている。国民はもっと危機感を持つべきなのだ。その先頭に立つのがメディアのはずなのだが。その原因の一つはやはり政治への無関心層を作ってしまったこと、つまりそこにこそ戦後教育の問題点を見出さねばならないであろう。