ヘブンリーブルー

 最近庭に朝顔を植えるのに凝っている。と言っても花好きの妻のの鉢が並ぶ中に置かせてもらうのでそんなには植えられない。品種はヘブンリーブルーという。やや薄めの涼しげなブルーの西洋朝顔だ。以前にも植えたことがあり、だいたいこの5月に植えて、夏から秋にかけて花が咲く。結構遅い季節まで楽しませてくれる。いろいろな朝顔を植えたこともある。色とりどりもいいが、今はこのヘブンリーブルーが好きだ。一色に揃えるとそれはそれで綺麗なのだ。

 曽野綾子の『天上の青』という小説がある。その冒頭にこの朝顔の記述がある。それで知った。連続殺人鬼と一人の女性の心の交流を描いた物語で衝撃的な内容である。この作家の作品を僕は結構好んで読んできた。思想的にはやや右寄りと言われたりもするし、それに類する発言も少なくないが、評論やエッセイを読むと、なるほどと共感する部分が結構多かったりもする。彼女は敬虔なカトリック教徒なのでその立ち位置からの作品が多い。僕の本棚には数だけで言えばこの作家の本が一番多いかもしれない。相容れない考えもあるので是々非々で読んでいる。

 Heavenlyblue-天上の青。素敵なネーミングだ。和名はソライロアサガオと言うらしいがあまり詩的ではないと思う。英名もHeavenlyblueではないらしくBlue Morning Gloryのようだ。正確なことを探すには至らなかったが、要はこのHeavenlyblueと天上の青(蒼とも表記するらしいが)という名称がとても気に入っていて植える、というに過ぎない。

 "Heavenly"を"天上"と訳すセンス。最初誰が訳したのか知らないがすばらしいと思う。本来"Heavenly"は"天国の"とか"神の""天の""空の"と訳すものらしい。"Heaven"は天国の意味なので形容詞の訳としてはそうなるだろう。従って"天上"にも神の響きがほのかに感じとれる。いや、神という宗教的な意味を超えてより大きな響きさえ感じる。もっと言えば人類が関わるこの世界を超えた、つまり人智を超えた大自然、全宇宙を思わせる響きだ。この名を持つ朝顔にそれを見る、というのはかなり大袈裟な気もするが、天空の澄んだ青空のような色合いを持つこの朝顔がそのような概念から遠いものだとも言えない気がする。

 今はまだ発芽してから日も浅いので花が咲くのはまだまだだが、あの美しいブルーが待ち遠しい。世間は緊急事態宣言下の地域もあり、外出もままならない。自粛生活が続く中、世界を感じることができる機会もあまりないのが現実だが、そんな時にも我々を助けてくれるものは数多くあることに感謝したい。それは例えば花であり、樹木であり、天空であり、夜空であり、星であり、月であり、太陽であり大地である。音楽があり、演劇があり、書物があり、絵画がある。身近なところに世界を、宇宙を感じることのできるものがたくさんある。それらがあるからいい、というわけではないが少なくとも自分の周りに目を向け、耳を傾ければ自分が世界の中で一人きりではないと思える瞬間がある。それを大事にしたい。それでも耐えられない時は助けを求めよう。必ずしも家族や友人が助けてくれるわけではないけれど、幸いにして現代はいろいろな手段があり、助けてくれる制度がある。それを忘れず、声をあげよう。一つの種が健気に芽を出すさまはそれだけでいろいろなことを僕に教えてくれる。