日本脱出計画2

 そんなに日本が嫌なら出ていけば? そうだよね、出て行くわ。売り言葉に買い言葉。でも相手が出ていけないことを知っていながら叩きつける売り言葉。例えば教師が生徒に叩きつける売り言葉にもその種の言葉がある。自分も使ったことがある。それは反則だ、と今思う。それなりに言い分もある。それはまた別の機会にでも。

 さて、どうしてこの国を出ていけないか。諸般の事情はいろいろあれど、まず僕の頭に浮かぶのは言語の壁、である。たとえ言語の壁がなくともことはそう簡単には運ばないが、逆に言えば諸般の事情が許されても、言語の壁は越えられないものとして厳然としてそこにある。人とのコミュニケーションは、人間の営みに欠かせないものとしてわれわれの前に立ちはだかる。傲慢になった人間を懲らしめるために神は言語を何種類かに限り、人との会話をおいそれとはできないようにした、と旧約聖書にある。神も罪深いことをしてくれる(罪深いのは人間だった)。

 そこで僕は言語からとりかかることにしたのだ。他言語で自分の意思、思想を充分に披瀝することができるなんて、すごいことだ!そういう人が日本には溢れている!いや、おそらく世界のあちらこちらに溢れている。僕のドイツ語の先生がまずそうだ。そんな人の頭の構造はどのようになっているのだろう。Twitterにも日本人より複雑、抽象的な文章を書いている人がたくさんいる。羨ましい。ともかく自分としては少しずつでも語学力を上げていくことだ。幸い外国語の勉強は好きだ。言語にはその国の思想が見えて面白い。確かに簡単ではないが。自由自在に使えるようになるまでを考えると気が遠くなる。

 ところが、その言語の壁を感じることなくこの国におさらばできる方法が1つだけあることに気づいた。いや数年前から気づいていた。僕の脱出云々は別にしてこのことについては実は授業でも触れたことがある。何人の生徒が興味を持ったかは別だ。この国におさらばして、言語上不自由を感じることなく、生活できる方法が。ただし、それは今すぐではない。その可能性がひょっとしたら生まれる、というに過ぎないのだが。

 それは沖縄が日本から独立し、国家を形成することにした時だ。沖縄は今から49年前の1972年5月15日にアメリカから日本に返還された。来年は沖縄返還50周年だ。それは沖縄の人々にとって喜ぶべきことなのだろうか。このことにもこのブログでいずれ触れる時が来るだろう。米軍基地問題で日本政府は沖縄を蹂躙してきた。かねてより僕は沖縄は日本に反旗を翻し独立するかもしれない、と思っている。この発想は今まで人から聞いたことも本で読んだこともない。しかしこのような発想は決して特異なものでもなく既に誰かが言っていることだろう。沖縄が独立する、ということは独自の憲法を持つ、ということだ。今の日本国憲法と同程度もしくはよりリベラルなものになる、という保証はもちろんないが、少なくとも改憲案として出ているものよりはずっと期待できるような気がする。言語の心配なく、14年前に旅行で行って以来憧れの地の一つになった沖縄での暮らしは僕の気分を高揚させる。彼の地の人々は果たして受け入れてくれるだろうか。