日本脱出計画2

 そんなに日本が嫌なら出ていけば? そうだよね、出て行くわ。売り言葉に買い言葉。でも相手が出ていけないことを知っていながら叩きつける売り言葉。例えば教師が生徒に叩きつける売り言葉にもその種の言葉がある。自分も使ったことがある。それは反則だ、と今思う。それなりに言い分もある。それはまた別の機会にでも。

 さて、どうしてこの国を出ていけないか。諸般の事情はいろいろあれど、まず僕の頭に浮かぶのは言語の壁、である。たとえ言語の壁がなくともことはそう簡単には運ばないが、逆に言えば諸般の事情が許されても、言語の壁は越えられないものとして厳然としてそこにある。人とのコミュニケーションは、人間の営みに欠かせないものとしてわれわれの前に立ちはだかる。傲慢になった人間を懲らしめるために神は言語を何種類かに限り、人との会話をおいそれとはできないようにした、と旧約聖書にある。神も罪深いことをしてくれる(罪深いのは人間だった)。

 そこで僕は言語からとりかかることにしたのだ。他言語で自分の意思、思想を充分に披瀝することができるなんて、すごいことだ!そういう人が日本には溢れている!いや、おそらく世界のあちらこちらに溢れている。僕のドイツ語の先生がまずそうだ。そんな人の頭の構造はどのようになっているのだろう。Twitterにも日本人より複雑、抽象的な文章を書いている人がたくさんいる。羨ましい。ともかく自分としては少しずつでも語学力を上げていくことだ。幸い外国語の勉強は好きだ。言語にはその国の思想が見えて面白い。確かに簡単ではないが。自由自在に使えるようになるまでを考えると気が遠くなる。

 ところが、その言語の壁を感じることなくこの国におさらばできる方法が1つだけあることに気づいた。いや数年前から気づいていた。僕の脱出云々は別にしてこのことについては実は授業でも触れたことがある。何人の生徒が興味を持ったかは別だ。この国におさらばして、言語上不自由を感じることなく、生活できる方法が。ただし、それは今すぐではない。その可能性がひょっとしたら生まれる、というに過ぎないのだが。

 それは沖縄が日本から独立し、国家を形成することにした時だ。沖縄は今から49年前の1972年5月15日にアメリカから日本に返還された。来年は沖縄返還50周年だ。それは沖縄の人々にとって喜ぶべきことなのだろうか。このことにもこのブログでいずれ触れる時が来るだろう。米軍基地問題で日本政府は沖縄を蹂躙してきた。かねてより僕は沖縄は日本に反旗を翻し独立するかもしれない、と思っている。この発想は今まで人から聞いたことも本で読んだこともない。しかしこのような発想は決して特異なものでもなく既に誰かが言っていることだろう。沖縄が独立する、ということは独自の憲法を持つ、ということだ。今の日本国憲法と同程度もしくはよりリベラルなものになる、という保証はもちろんないが、少なくとも改憲案として出ているものよりはずっと期待できるような気がする。言語の心配なく、14年前に旅行で行って以来憧れの地の一つになった沖縄での暮らしは僕の気分を高揚させる。彼の地の人々は果たして受け入れてくれるだろうか。

 

日本脱出計画1

 そんなに日本が嫌なら出ていけば?

 今、日本がひどいことになっている。こんな国になるとは思っていなかった。あー。別に先進国こそがいいとは思わないけれど、どこかでこの日本を、あの戦後の混乱期、大変な時期を乗り越えて経済大国にして豊かな(少なくとも物質的には)日本を創ってきた先人たちに敬意も表したいし、日本人としての自負もあった。けれどいつしか他国に抜かれ、収入などは低いほうになってしまった。賃金が上がっていないらしい。自分が公務員だったからか、生活水準の下落をあまり実感できなかったのかもしれない。しかし、退職金の下落や年金の減少と給付開始時期の延長ー給付の出し惜しみーを見るとこの国の凋落ぶりがまざまざと実感できる。さらにこのコロナ対策のまずさ。このままではこの政府に命をとられる。まずいぞ。

 僕がドイツ語を始めたのは今から2年半ほど前、つま2018年の12月頃だった。58歳と8カ月ぐらいの時。定年まであと1年と3カ月のあたり。結果的には定年を1年残して退職することにしたのだが。そもそも定年を間近に控えて意識し始めた数年前、「何かライフワークを見つけられるといいなあ」とぼんやり考えていた。その時は「形」のあるものをイメージしていた、と思う。小説や評論のようなものをまとめて本にする、とか、絵を描く、漫画を創作する、など。そんな時に出会ったのが「外国語を始める」というものだった。ライフワークという概念から言うと「母国語のように操れる言語を何かひとつ習得する」というものだ。日本にいる外国人で日本語を母国語のように話せる人々が大変多いように感じていた。日本語は決して易しい言語ではないと認識していたので、いつもすごいなあと感心していたものだ。中高大と10年間英語をやっていて、他の教科に比べれば得意だったはずの英語もたいしてしゃべれない自分としては羨ましくもあり、およそ自分がその域に到達できるとはおよそ思えない。しかしだからこそ挑戦しがいがある、とも言えるのだ。そうかその手があった!何も形あるものばかりがライフワークでなくてもよいのだ。俄然やる気が出てきた!

 ちょうどそんなことを思っていた時だったと思う。『針と糸』という本に出会ったのは。著者」は小川糸氏。新聞の連載コラムでは時々読んでいたところ、別の機会にこの本が紹介されているのを見たのだと思う。今はよく覚えていない。もともと彼女はバルト三国の一つラトビアに住み、その紹介を本の中でしていたのだが、ドイツの話もよく出てきて、ドイツの労働や生活の実態が綴られていた。そしてここが自分の心理分析をしていて面白い、と思う点なのだが、僕はもともとドイツは好きな部類の国ではなかった。あのヒトラーナチスを生み、ホロコーストユダヤ人、ポーランド人、ロマと呼ばれる人々、障がい者等の抹殺を行って、純血ドイツ人の国を作ろうとした国、という認識であった。あのヒトラーという狂人が中心になってやったこととは言え、ドイツ人気質とは無関係ではない、と感じていた。事実、職業柄調べた文献にもそういう分析がなされていた。学生時代の第二外国語もドイツ語ではなく、フランス語を選択した(実は僕は仏文科卒だ)。

 しかし小川氏の記述はそのような印象を別の印象に鮮やかに塗り替えた。戦後の日本とは異なり、過去に向き合う姿勢が毅然としており、本当の民主主義国家への道を進んでいる、と感じる。メルケル首相は現在世界で最も信頼されているリーダーだ。ドイツのことを調べるにつれてドイツへの憧れが募ってきた。もちろん弱点も少なからず存在するし、日本のほうが優れているものも少なくない。それはどの国の対比でも起こることだ。要は何を選び、優先するか、何を最も重視するか、ということになる。

 かくして、僕の脱出先は第一希望、ドイツ、となった。あとはその準備である。

日本という国 〜その4〜

 この日本という国がどうも怪しい、と思い始めたのはいつ頃からだろう、とよく考える。そのかけらを拾い集めた時の僕の記憶における最も古いものは、おそらく、オフ・コースの『生まれ来る子供たちのために』という曲を学生時代に友人から教えてもらい、この曲が何を歌っているのかについて話したことでなないかと思うのだ。

 この曲の作者小田和正がこの曲に込めた思いは彼なりのものがあるようだが僕と友人はもっとこの国の、あるべき姿からかけ離れた状況まで敷衍して捉えていた。そして、高校の教員になった僕は、新人1年目、希望者による学習合宿の講義を1時間持つことになり、当時の学年主任から「内容はなんでもいいから」と言われて、この曲をかけ、自分なりの解釈を生徒の前で話した。この国のありようがおかしい、君たちはそのおかしさに気づき、何が本当に正しいのかを見抜く力をつけてほしい。そんな話をしたような気がする。高校1年生対象だったのでそんなおおらかなプログラムが許されたのかなと思う。

 大学を卒業した頃、さだまさしの『風に立つライオン』がリリースされる。この曲にも触発されるところが多かった。そしてこの曲は、何か暗示的だが、僕の最後の在任校の担当学年の総合学習で登場することとなる。どれだけのことが生徒たちに伝わったのかはなはだ心もとないが歌のもつメッセージ性はやはりすごいものがある。そんなすごい歌をいかに伝えるか。政治利用などという言い方で歌というものをあまり散文的世界に近づけたくはないが、その力を借りたいというのが本音である。

 さて、この国が怪しいと思い始めてから十数年経った頃、日章旗君が代がそれぞれ国旗、国歌が法的に根拠を持つことになる法律が制定される。「国旗及び国歌に関する法律」がそれである。1999年8月のことである。すでに中堅の教員になりかけていた僕は政治経済等の授業で内心の自由などを教えていたこともあり個人的に「やばいなあ」と感じていた。そんなに強硬な「国旗」「国歌」反対論者でもなかったので式典では他の多くの教員同様、”斉唱”の際に起立はしていた。しかしこの法律には危うさを禁じえなかった。内心の自由に踏み込まれる予感がしていたのだ。調べていくうちに僕の捉えていたものと少し異なる部分が見えた。当時文部省から公立校に対し卒業式等の式典において君が代の強制があり、反対する教員との間の板挟みにあった広島の県立高校の校長が自殺するという事件があった。それは日章旗君が代を国旗、国歌とする法的根拠がないことに起因する部分がある、と言われた。保守の中にありながらリベラルと言われた当時の野中広務内閣官房長官が進めていたことに違和感を抱いていたのだが、彼の本心は「これで法的根拠が作られたわけで、板挟みになって苦しむ学校現場の管理職はなくなる」というところにあると言われ腑に落ちた。僕のいた高校でも毎回国旗の掲揚、国歌斉唱はあたりまえのようにプログラムされていた。高校にもよるだろうが、僕のいたいくつかの勤務校では起立しない教員、歌わない教員がいても断罪されることはなかった。まだ幸せなほうかもしれない。他府県、他校では厳しく取り締まるところも少なくなかったと聞いている。処分された教員もいると聞く。明らかな内心の自由の侵害である。国旗や国歌を掲げたり、歌いたくなるような国を創ることが先だと思うのだが、そうなっていない、ということだと思う。

 そして今である。怪しい、ではなく、胡散臭い、というほうが的確な状況が生まれた。それが安倍内閣が国家像として掲げた「美しい国」宣言である。この内閣のやることはことごとく僕の神経に合わない。それが最も顕著に表れたのが教育基本法の改悪(!)である。

 

教育基本法

前文

 われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。

 われらは、個人の尊厳を重んじ、 真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。

 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。

 

教育基本法

前文

 我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。

 我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、 豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する

 ここに、我々は、日本国憲法の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、そ の振興を図るため、この法律を制定する。

 

 どうだろう、旧教育基本法の格調の高さは。そしてどうだろう、新教育基本法の「日本、我が国、公共、伝統」という「我が国」アピールは!「日本国憲法の精神」により「のっとっ」ているのはどちらか。人類普遍の希求すべき平和や福祉や真理や正義といったものを高らかに謳っている旧法に対し、「我が国」アピールによって人類普遍の希求や願いといったものが矮小化されている。この法律を読んで愕然とし、以来僕は常々教員としての誇りを傷つけられている思いを拭えなかった。2条以降、「我が国」アピールは公共、道徳といった言葉でそのアピールを増幅させている。

 

 国を、良い意味でも悪い意味でも改変する際に、国の首脳陣が手をつけたがるのは、そしてどうしても手をつけなければならないのが教育である。戦後の教育について評価するのはたやすいことではない。ある程度の民主主義教育は成功していたのだろう。しかし、いわゆる保守層が「戦後の教育は間違っていた」と主張するのとは別の意味で不充分だった部分があったと言わざるを得ない。それはつまり、民主主義というものを積極的に維持しようとしなければ失われる、ということ、また、一度失われれば簡単には取り戻せない、ということをもっと教えるべきであった。民主主義を民衆自らの力で勝ちとったのではないこの日本であるならばなおさらである。

 今のこの事態、政府が思い通りにならないと判断すれば官僚や関連団体の人事に口を出し、それがひいては官憲も例外ではなくなり、自治体への圧力となる。情報操作を行い、メディアをコントロールしようと画策する。政策への反対運動、デモの取り締まりや批判記事の抹殺も然り。いつかきた道を舞い戻る。あの戦前の、思想信条、表現の自由の取り締まりが目前に迫っている。国民はもっと危機感を持つべきなのだ。その先頭に立つのがメディアのはずなのだが。その原因の一つはやはり政治への無関心層を作ってしまったこと、つまりそこにこそ戦後教育の問題点を見出さねばならないであろう。

 

 

 

日本という国 〜その3〜

 この日本という国は「日本国憲法」というすばらしい憲法を有している。誤解のないようにいうと、それは1946年11月3日公布、翌47年5月3日施行の憲法のことである。今、憲法改正(改悪?)の動きがあるので、万一変えられた場合もタイトルが「日本国憲法」となるかもしれないので補足したまでである。この憲法はその前文をはじめ、すばらしく民主的な内容の文章からなっている。名文である。この憲法が改悪されることにでもなれば、僕はもうこの国には住みたくない。日本国籍も要らない。そのような状況に備えて幾つかの外国語の習得を試みている。

 

 ただ、おいそれとは外国移住などできるわけもない。家族もいる。説得はかなり難しい。最後は自分一人ででも、と宣言したいところだがそうもいかない。”家族を見捨てたやつ”という汚名を背負って今後の人生を生きていくのはなかなか辛いものがある。

 ではそれらのことから導かれる方向とは?それはこの状況を変えることしかないのだ。この先どれだけの人生を送ることができるか、そんなに多くの時間を持たない僕がこの国を少しでもなんとかしたい、と思う理由ーそれはひとえに自分の子どもたち、そして次世代の人々のためである。僕の教員時代の教え子たち。劣悪な環境の中で一生懸命に生きている子たちも世の中には多い。生まれてきてよかった、少しでもそんな思いの中で人生を送ってほしい。「ひどい国になってしまったね。僕はもうおしまいだからいいけどね」そんな言葉で終われない。

 

 本当にひどい国になっている。政治に無関心な人々は、なんとなく生活できているからまあいいか、と選挙にもいかない。声もあげない。現職に入れとけばいいか・・・。

 

 この凄まじいコロナ禍でもオリンピックを強行しようとしている。他国に比べて「さざなみ」といったやつがいる。オリンピックで絆を強めるなどと寝ぼけたことを言う大臣がいる。入管で亡くなった方の「名誉と尊厳を守るためビデオ映像を見せられない」と奇妙な答弁をする大臣もいる。それは逆だ。尊厳を守るための映像なのに。まともに答弁もできない総理は論外。「次期総理も彼で」と言う自民党の連中も論外。まともな感性の持ち主は与党内にはどうもいないようだ。オリンピック反対の横断幕を掲げ、声をあげると「威力業務妨害で逮捕」だと?特高か?いつの警察? 恐い・・・

 こんな国にしてしまった要因。メディアもその一つ。政府に睨まれると取材させてもらえないと怯むのか追及の甘いこと甘いこと。このようなメディアだから戦争への反対もできなかったんだ。妙に納得してしまった。また同じことが起こるかも。骨のあるのは「赤旗」「週刊金曜日」「文春」ぐらいか。

 そして何より国民。完全に国民を「舐めている」与党をのさばらせたのは国民だ。「舐めている」というのは言い換えると「軽んじている」ということ。心ある人はそのような政党には入れていないだろう。無関心もしくは利権迎合、無思慮で現状維持でいいやと言う層が入れた結果。

 今の政府の無為無策ぶりは尋常ではない。ひょっとすると、彼らはわざとそのようにしているのではないか。人流ではなく人口そのものを減らそうとしていないか。年金問題医療保険の破綻目前と言われる現状を鑑みるとあながち妄想とも言えず、まさしくホラーである。感染者、重症者の増加は織り込み済みで、「仕方ない」と思ってはいないか。それぞれに大切な人生があり、かけがえのない家族や友人たちの命であると言う認識が著しく欠如しているとしか思えない。僕も基礎疾患保持者。恐い日々を送っている。

日本という国 〜その2〜

 いつの間にかこんな国になってしまっていた。それが今の正直な印象である。

 

 いや、実はうすうすこうなることはわかっていた。多分良識のある学者の皆さんがさまざまに分析されているので今更僕如きが、という気もするが一応自分の中での分析をしておきたいと思う。

 

 もともと日本という国が大好きというわけでもなく、かといって嫌いでもなかった。それなりに国を愛していたのではないかと自覚している。単純な言い草だが、オリンピックやスポーツの世界大会を見るとつい日本選手やチームを応援してしまうというのはその現れであると考えている。

 「愛国心」ということを声高に叫ぶ人がいる。日の丸の国旗化、君が代の国歌化といったことが進行した一時期があった。それでも今ほどきな臭い感じはなかったように思う。危機感を募らせたのは安倍前総理がこの国を「美しい国」にするといったあたりだ。この言葉には当時から胡散臭い響きを嗅ぎ取っていた。

 そもそも「愛国心」という言葉にはどこか偽善的な、そして過去にいろいろな国を誤った方向へ押しやった危ういものがある、と感じていた。〇〇心というからには内心のことであり、外からとやかく言われるものではない、と思う。この言葉を聞くと連想する物語の一場面がある。デ・アミーチス作の『クオレ物語』の中にある話で、船旅中、ある少年が、自分の国の悪口を言われ、その発言者に食ってかかるという部分である。このクオレ物語自体、イタリアの少年たちに愛国精神を説くために書かれたと言われているのだが、愛国心とは自分の国が侮辱された時などに自分の内側から思わず知らずに湧き上がる思いなのではないか。そしてそのような思いは、国民に愛される国であってこそ人々が育んでいく思いではないか。

 

 今、そのような意味での、日本を愛する人がどれだけいるのか。「俺は心からこの国の行く末を案じ、愛している」と言える人が果たしてどれだけいるのか。口先だけでいうのは簡単である。本当にこの国のことを憂える人が多いなら、国政選挙の投票率があれほど低くはならないはずである。

日本という国 〜その1〜

 日本というこの国に生まれて約60年、特別に「よい国や〜」とも思わなかったが、そんなにひどい国だとも思わなかった。そう、正確にはここ7〜8年を除いては。そして特にここ1、2年のコロナ禍になる前には。

 

 この国を一番気に入っていた点は、日本国憲法にあの第9条が存在しているからだ。この国に戦力はない。従って戦争をする気もないし、事実戦争はできない、しない国、なのだと理解していた。では自衛隊はどうなのだ、という議論、相手国が攻めてきたら無抵抗で植民地になるのかという「右派」の常套的な「攻撃」はさておき、9条を素直に読んだ人間には、「日本は戦争をしない国」なのだ。つまり平和な国、である。そして夜間を一人で出歩いてもほぼ安全である。医療の皆保険制度はやはり素晴らしい仕組みであり機能している。小さな不満はあれどおおむね人が住みやすい国だと思う。思っていた。決してアメリカや他国ほどではないにせよ、少なくない外国人が日本に住み、流暢な日本語を操り、「日本はいい国や〜」というのを聞くと「そうでしょう」とちょっとだけ誇らしい気持ちになったものだ。

 ところが今はそうではないのだ。僕自身が。日本に住む外国人を見ると「なんでこんな日本がいいのか。帰ったほうがいいかもしれないのに」と思ってしまう。

 今から3年ほど前だろうか、職場の同僚と、とあるビアバーに行った時のこと。案内されたテーブル席の隣に外国人が二人で飲んでいた。しばらくしてそのうちの一人が

「日本はどうしてこんなにいい国なのですか」

と日本語で話しかけてきた。その時の自分の内心で起こったざわつきを今でも覚えている。率直にいうと

「そんなにいい国ではないけどな。」

というざわつきだった。せっかく気持ちよく日本のビアバーで飲んでいるところに水を差すのも悪いと思い、

「どうしてそう思いますか。」

とだけ問い返した。以前なら「ありがとう」という言葉のあとその問いを発したかもしれないがその時はそれを言わなかったように思う。ただ、彼らはアメリカ人で当時はトランプ政権下にいたので、単に比較の観点から<まだ日本のほうがマシか>ぐらいには思っていたのも確かだ。

 その後の会話は。同僚が英語のできる人だったので、日本語、英語による会話を少し楽しんだ。最後のほうで僕が

「How about U.S.President Trump?」

といい加減な英語で尋ねた。相手がどう答えてくれたのか正確には思い出せないが、たいへんだという意味をジェスチャーと共に示したことだけは覚えている。やっぱりな、と僕は得心したのだった。

 その頃は、それでも、まあアメリカもたいへんだけど日本も結構まずいよな、という程度だったかもしれない。ところが今やアメリカはバイデン氏を大統領に選出し、見事に「世界のアメリカ」に返り咲いたのだ。もちろんこの評価には異論もあろうが、総合的に見るとやっぱりアメリカは世界のリーダーなのだ。黒人やアジア人への人種差別、銃規制などその他の問題を抱えてはいても、である。バイデン政権になってからの前政権からの鮮やかな方針転換、ワクチン接種の進行の速度に見るコロナ対策、外交、環境問題への姿勢など見事というしかない。改めて国力の差をまざまざと見せつけられた思いだ。それはワクチン開発国であるというアドバンテージの問題ではなく、「ワクチンを速やかに行き渡らせる」ことのできる「国力」の差だ。政治、行政システム、命令系統の確実性の度合いの差。アメリカと日本の人口比3億3100万対1億3000万を見れば尚更その「国力」の差に愕然とする。まさしく先進国とそうでない国の差に他ならない。経済大国、かつては世界第2位と言われた日本は皮肉にも「経済だけ大国」だったという事実が判明し、その地位も今は昔という現在である。日本が先進国、という幻想を捨て去り、謙虚に国を立て直し、もう少し「まともな」国にしていくことが急務である。

感受性の半径

 以前Twitterで次のような書き込みを見た。以来そのことが気になっていて、もう一度その書き込みを読みたいと思って検索したのだが、結局見つからなかった。一つの科学的理論かもしれないと思い、検索の範囲を広げたのだが結局わからずじまいだった。今でもその書き込みの内容が気なっている。その理論がその発信者のオリジナルなのか引用なのか覚えていないし、そのことがわかる書き方だったのかどうかも定かではないのだが、僕自身は大いに共感し、なるほどと思ったのだった。

 

 それはおおよそ次のような内容だった。「人の感受性の半径とは、それぞれにほぼ固有のものとして決まっており、その半径を無理やり伸ばすとひずみが生じて自分で収拾がつかなくなり、精神を脅かされる(おびやかされる)恐れがある」といったものだった。内容も表現もかなりあやふやでいい加減かもしれない。しかし意味としてはおおよそそのようなものだった、と僕は理解した。

 

 今、僕の周りには、僕の精神を脅かす(おびやかす)、苛む(さいなむ)、ものが数多くあり、心が痛い。お前ごときが、勝手に世の中の問題を抱え込んでどうしてそのような問題が放置されているのかを思い悩むなど笑止千万、思いあがりだ、自意識過剰だ、という声も聞こえてきそうだが、そう思ってもらっても結構。世の中には同じ問題意識の人が多くいることもわかり、実際に果敢に行動に移して成果を上げていることを見るにつけ、心強い思いも一方でしているので。しかし、それでも僕の心は晴れない。なぜか。それはそのような問題意識を持つ人が決して多数派ではなく、心ない攻撃をする勢力も少なくなく、本来は先頭に立ってそれらの社会問題を解決すべき公権力が現在は機能不全の状態だからだ。

 

 ではどんな問題か。すこぶる個人的な関心、ということになるし、主観によるもの、ということにはなるのだが。現在気になっている問題は主に次のようなものである。

・渋谷の女性ホームレスの死 大林三佐子さん

・入管で死亡したスリランカ女性ウィシュマ・ サンダマリさん

・東京目黒区 女児虐待死事件 結愛ちゃん

・公文書改竄 赤木俊夫さんの自殺

・コロナ罹患にも入院のできない人たち

・医療現場の最前線で働く医療従事者

・コロナ禍で倒産・廃業に追い込まれた会社・店・退学を余儀なくされた大学生・専門学校生

 

 まだまだある。キリがない。心が痛む。胸が張り裂けそうになる。しかし自分には何ができるのだろうか。無力な自分。その事実にも追い詰められる。そんな時に出会ったのが「感受性の半径」の理論だ。感受性の範囲を自分の許容量を超えて広げてしまうことは自分を追い詰め、自分を見失わせることになる。自分は安全な場所にいて、何が理解できるというのか。その自己嫌悪も自分を追い込む。感受性の半径。手を伸ばし過ぎてはいけない。

 

 僕と同じようなジレンマ、自己嫌悪、悲しみ、怒りを持つ人がTwitter内にたくさんいることがわかってから少し救われている。僕のツイートにも反応してくれてありがたい。それこそ僕が救われている。今、もっともまともな神経をお持ちの方がSNS上にいる。その逆もいるけど。でも最新の(おそらくはより事実に近い)情報を発信したり、権力監視の役割を果たしたりしているメディアが少ない中、Twitterは貴重な情報ツールだと思う。