幼き日の思い出

 どうしても残しておきたい記憶がある。それがたとえあいまいな記憶であっても。

 

 それがいつ頃のことだったのかよく覚えていない。だがいくつかの断片からなんとなく推測することはできる。確か自転車の補助輪がとれるかどうか、といった時期だったように思う。何人かの友だちが「もうタマつきでなくなった」 というようなことを言い始めていたので自分も頑張ろうと思っていた頃だ。ということはおそらく小学校1〜2年頃、今から55年ほど前か。僕は小学校2年の後半ぐらいから病気で入院を余儀なくされたのでそれまでのことだと思う。

 

 当時新興住宅地に移り住んで3年ぐらいだ。まだ空き地が残っており子どもの貴重な遊び場となっていた。公園というものが計画的に設置される、という発想があまりない頃のことだ。近所のその空き地で僕はホシユリコという女の子と遊んでいた。その名前も正確なのかどうか今となってはわからない。

 その空き地で僕は自転車の補助輪を外して乗ろうという練習をしていた。ユリコはそれを手伝っていた、のだと思う。そして、ユリコのことをひときわよく覚えている理由ーそれは彼女が僕のキャッチボールの相手をしてくれた、という思い出だ。キャッチボールの相手をしてくれる女の子など皆無の時代だ。野球という競技がとりわけ好きだった僕はよくキャッチボールの相手を探していた。そのキャッチボールの相手をつとめてくれた奇特な女の子がユリコだったのだ。このことはその後今に至るまで強い印象を僕に残した。

 彼女とは何度か遊んだ記憶があり、僕の家にも(それは庭だったかもしれない)来たことがあったような気がする。昨夏亡くなった母も会っていたような気がする。もちろん母は覚えていなかったと思う。そしてユリコの家もおぼろげにその場所を僕は覚えている。家の中に入った記憶はあまりない。

 僕たちが小学校1〜2年だったとしたら学校でのふたりの記憶がありそうなものだがそれが全くないのだ。今述べた場面とそれにまつわる一連の記憶のみなのである。当時、級友たちにもユリコのことを話題にしたことがあったような気がするのだがはっきりした記憶として定着することがなかったところを見ると、かんばしい成果はなかったのだろう。

 

 ユリコのことはほとんど人に話したことがない。興味を持たれそうな話でもないから。しかし今この話を綴りながら、ひょっとしたら現在も僕の実家の向かいに住んでいる幼馴染みならかすかな記憶をとどめているかもしれない、と思った。機会があればダメもとで聞いてみよう。

 

 僕のキャッチボールの相手をしながら、決してうまくはなかったその遊びの中で、取り損ねて後ろにそらしたボールを追いかけて行ったユリコの後ろ姿に思いを馳せている。あたりに夕闇が迫ったその空き地を走る一人の女の子の後ろ姿に。

ブログを始める理由 〜ペンのちから!?〜

 

 初めまして、という書き出しでよいのだろうか。読者がいるのかどうかもわからない状態で誰に向けて書くのだろう、と思いながら、しかし個人の日記で誰にも読まれないのは嫌だ、というか寂しい。あえてブログを表現の場に選んだのは誰かに読んでもらいたい、誰かに自分の意見を共有して、共感してほしいから、というのが本音だ。

 これからここで書いていくテーマは多岐にわたることになると思う。日々思うことがたくさんあり、それが溢れかえって、最近では自分が壊れそうになることがある。このコロナ禍で特にそうなっている。自分は不幸なわけではない。でも社会や世界は幸福ではない。その社会や世界に対して自分の無力さに愕然としている。それをブログを書くことで社会に貢献しよう、などと大それたことを思っているわけでもない。ただ、仕事をリタイアした身として少し自由になった時間を活用して、何かが変わらないだろうかと企んでいるのも事実だ。”ペンは剣より強し”は本当だろうか。少しはそれが真実の部分を今でも持っていてほしいとの願いも込めてこれから綴っていきたい。

 さて、実をいうと昨夏とある新聞の読者投稿欄に拙文が採用された。過去にも何度か採用されたことがあるのだが、今回は日本政府の政権運営の酷さについ吠えてしまったのだ。一読者が吠えたところでどうにもならないのだろうが吠えずにはいられなかった。それは今でも変わらない。現実はよりひどくなっている。2度3度4度と政権批判の投稿を重ねた。しかし柳の下にドジョウはもういなかった。自分の文章がもうひとつなのだ、と言われればそれまでだが、自分としては新聞の報道姿勢の弱腰さにも触れたため嫌われ、新聞社と言えども政権をあまり敵に回したくないとの思惑のせいだ、と密かに思っている。

 そこで思い至ったのがブログだ。これは字数制限も投稿ほどにはなく、かなり自分の思い、考えが綴れると思ったのだ。新聞ほどの社会的汎用性は高くない(つまり僕の記事については)だろうが、自分の表現の自由度を優先したと言ったところか。それにここでは政治のことに限らずさまざまなこと、個人的な事柄にも触れていける楽しみがある。

 

 もしここまで読んでくださった方がおられたら感謝したいと思います。まだプロローグに過ぎないとは言え、自分の勝手な独り言につき合わせてしまいました。ブログのタイトルの”TMarthaの日記"は”Tマルタの日記”と読んでいただけると幸いです。